今こそ「保守本流の政治」を
2018年08月09日
特に安倍総理になってから、「保守」とは安倍氏の発言内容なのだと思う方が多くなり、これまでの「保守本流の政治」とは何なのか、分かる人がほとんどいなくなってしまった。
我が国の「保守」とは本来、もっと多様なものである。そして、安倍氏の考え方は、かつての「保守の本流」ではない。
保守だ革新だと言っていた時代は、昭和20年代から平成が始まるくらいまでだろう。
その源流である昭和20年代前半はどういう時代であったか。
冷戦の幕を開けたチャーチルの「鉄のカーテン」演説は、第二次世界大戦が終わった翌年の昭和21年。
世界各国は、アメリカ側の陣営につくか、ソ連側の陣営につくか、決断を迫られることとなった。
我が国は、資本主義陣営を選ぶこととなる。資本主義を選ぶ方が「保守」、社会主義を選ぶ方が「革新」となったわけだ。
その「保守」の中には2つの流れが存在した。
まず一つ目は戦前戦中からの流れ。
かつてヨーロッパ各地で絶対王政が倒され、立憲主義、民主主義、そして自由主義が広まった中で、昭和4年、世界恐慌が勃発した。ここで、それまでの自由主義経済は大きな転換を迎えることとなる。アメリカのニューディール政策はじめ、経済活動を自由放任でやらせる方向から、国家が経済に介入する。こういう風潮が出始めた。日本にもそれに影響をされた「革新官僚」と呼ばれる若手が出現した。彼らは、後に国家総動員法などの策定にもあたったが、その革新官僚の一人が、戦後、総理大臣になった岸信介氏である。安倍総理の母方のおじいさんだ。
国家が自由を制限するべきという考え方を持った人達が、戦時体制を支え、それに反対する人達は追いやられた。
そして二つ目の戦後の流れができる。
戦中の指導者達が戦犯となり、政界から追放されていたため、昭和20年代の日本の指導層には、自然、戦時体制に反対していた人達が就いた。外交官で英米と近いとされていた吉田茂。自由主義経済を問うていた石橋湛山。
戦後日本は、国際社会に復帰し、植民地を囲って経済をまわすブロック経済から、世界の多くの国々と貿易をする自由主義経済に転換した。異なる政治体制がにらみ合う冷戦の下で、我が国の伝統文化を大切にしながら、立憲主義、民主主義、自由主義(リベラリズム)、国際協調主義といった理念に基づき、政治が行われるようになった。この戦中に追いやられていた考えを実現した政治が、平成の始まりくらいまで「保守本流」と言われていた政治だ。
この10年くらいで、この戦後の「保守本流の政治」はほぼ潰えてしまった。焼け跡から戦後築き上げられてきたものが、戦前からの流れを引き継ぐ安倍総理のもと、ぶち壊され始めたのだ。
私は、「保守本流」の流れを引き継いでいる政治家達に期待をして、政界に入った。
しかし、びっくりしたことに、その大物である谷垣氏にしろ岸田氏にしろ、国会では下を向いて原稿の棒読み。さらに幻滅したのは、私の岸田氏への、「保守本流の思想からして、今の状況でいいのか」という国会での質問に対して、現状の中で最善の選択をするのが保守本流だという、全く骨の無い、時流に流され、権力におもねるような、戦後の保守本流の政治を育ててきた先人達が落胆するような答弁を公式にしたことだ。この質問は、私の当選一年目にしたものだが、主要紙にも取り上げられた。
今、戦中回帰している政治。これを推し進める安倍総理は、おじいさん岸信介氏の無念を晴らそうという、個人的な思いから発しているとしか思えない。私は、為政者の個人的な恨みで、この国をぶち壊してはならないと思っている。
しかし、一心不乱に突き進む安倍総理に対して、反対する政治家達の覚悟はいかに。覚悟が足りないのではないか。立憲主義、民主主義、自由主義、国際協調主義は、一回壊れれば、元に戻すのが大変だ。それは歴史が証明している。
戦時中、この流れに一人立ち向かった政治家が山口県にいた。安倍寛。安倍総理の父方のおじいさんだ。彼は、大政翼賛会に属さず、無所属で戦い、戦時中も当選し続けた。時の権力者の間違えをはっきり指摘し、普遍的でまっとうな理念を掲げ、自ら行動する政治家が、今も必要だ。
戦後の多くの人達が苦労して積み上げてきた「保守本流の政治」の灯は決して消してはならない。