古くなった「平成の政治」を見直し、

時代に合った「新しい政治」を!

~「破壊」の政治から、

新しい生き方と世界を「創造」する政治へ~

[平成の発想はもう新しくない]

(新しい時代の幕開け)

30年続いた平成の時代は終わりを告げ、2019年、令和の時代が幕開けした。
そして、その新しい時代の始まりは、世界の大きな地殻変動と重なることとなった。
2020年からは、世界中に新型感染症が蔓延し、グローバルな人や物の流れは大きく停滞、混乱した。
また、2022年、ロシアがウクライナに侵攻。ロシアは世界有数の資源国、ウクライナは世界有数の食糧輸出国だ。世界は、エネルギーや食の調達においても危機を迎えている。

この間、我が国では、多くの分野での輸入の遅れから、物不足が発生し、例えばマスクさえも自国で生産していないことに気付かされた。また、この四半世紀続けた「行政のスリム化」の結果として、保健所も大幅に集約され、有事には対応できないことが露呈した。給付金の対応や相談窓口など、各基礎自治体も、そして医療機関も、「削り過ぎ」の弊害が露呈した。

行政や公共機関は小さければ小さいほどいい。物はグローバルに取引した方が豊かになる。約30年走り続けてきた政治や社会のあり方に再考を促すきっかけとなった。

(ひとつ前の時代)

1989年の平成の世の幕開けも、ちょうど世界の変動と重なった。
その年にベルリンの壁が崩壊、そしてソ連崩壊。第二次世界大戦後の世界を形成していた東西冷戦が終わる年となった。
世界を分断していた、資本主義陣営、社会主義陣営の仕切が無くなり、地球全体でヒト・モノ・カネが行き来する「グローバル化」の時代が到来した。
そして、社会主義的な「大きな政府」は、非効率を生み破綻するという観点から、行政をスリム化し、公を小さくし、民間に役割を委譲していく「小さな政府」が志向された。
この数十年ぶりの世界の変動の中で、アメリカでは1992年に若き46歳のクリントン大統領が誕生。1997年にはイギリスでも44歳のブレア首相が誕生。彼らの所属する米民主党も英労働党もそれまでは福祉を重視する「大きな政府」を志向していたが、両人とも、「小さな政府」や「グローバリズム」を掲げ、政治の世界的な潮流を築くこととなった。

我が国においても、冷戦期に政権を担い続けてきた自民党政権が崩壊し、1993年細川連立政権が発足。その後1996年に3年ぶりに自民党総理が誕生した橋本政権は、行政改革やグローバル化を掲げ、世界の潮流と軌を一にすることとなる。

(日本でも海外でも問題が噴出)

しかし、冷戦崩壊から20年近く経った2008年の「リーマンショック」あたりから、この潮流は陰り始める。
所得再分配機能や社会のセーフティーネット機能の低下した「小さすぎる政府」の下では、国が経済成長をしても、企業が収益を上げても、決して多くの国民は豊かにならなかった。そして、頑張れば誰でも持家や車を持った生活ができるという社会の中間所得層は大きく減り、低所得層が増える中で、政府や公はもっと役割を果たすべきであるという声が上がり始めた。

この声はどんどん大きくなり、2016年には自由貿易に疑問を投げかけ「アメリカンファースト」を掲げたトランプ政権がアメリカで誕生。同年、イギリスはEUからの離脱を国民投票で決定。フランスにおいても、格差是正を掲げる黄色いベスト運動などが起こった。

グローバル化は「勝者総取り」を加速させ、更に政府は再分配機能を弱めたことで、格差は顕在化。低賃金労働者を容易に海外から受け入れることができ、生産も賃金の安い国に移転できるために、特に先進国では賃金が上がりにくくなる。そして、この時代が長く続いていることで、親の格差が子供の学歴格差も生み収入格差も生む、「格差の固定化」も現れている。
これは、我が国でも起きている現象だ。

(平成の路線で進んではいけない)

今、「昭和の発想」をバカにするのは時代遅れなのではないか。平成の30年間の政治こそ、見直さなくてはならないのではないか。
グローバル化すればするほどいい。行政や公は小さければ小さいほどいい。
この路線を、今、見直さなくてはならない。

1945年の第二次世界大戦終結後、各国は公の役割を大きくし、福祉国家を目指した。その反動で、1970年代、英サッチャー政権や米レーガン政権は、公の役割を小さくすることに転換した。それからもう半世紀だ。どんな政策も長く続きすぎればデメリットはどんどん大きくなる。この半世紀続く政策は、見直さなければならない時が来たのだ。
「勝者総取り」は、今後の経済のデジタル化の進展で、ますます加速化するだろう。今、本格的に手を打たなければならない。

(国際政治も分岐点)

この数十年、世界の秩序を曲がりなりにも維持してきたのは、国際連合だ。
しかし、第二次世界大戦の戦勝国である5大国(アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国)が創った国連は、この5カ国が自ら戦争をしかける場合には、機能しない。
ロシアのウクライナ侵攻は、国連のあり方に大きな問題を投げかけている。

また、中国やインドは、大きく台頭してきている。これは、アヘン戦争はじめ、19世紀以前の世界、アジアに力があった時代に戻っていくことを意味する。これも大きな変動だ。

国連改革、そして、欧米の力が弱まる中での国際秩序の形成の必要性が高まっている。
冷戦後、平成の時代は、国連のもと、世界が一つになることが夢想されていた。しかし、現実にはそういったことにはならなかったのだ。

グローバル化や公の最小化への礼賛の見直し。国際秩序の再構築。
これらを、政治は成し遂げなければならない。
そして、我々日本人も、日本の政治家も、これを望むだけではなく、自ら、その実現ために、行動していかなければならない。

[今必要な5つの政策]

1、国民全体を豊かにする経済政策を

(経済の現状)

我が国は、四半世紀に及ぶ低成長により、GDPは、2010年に中国に抜かれ、2075年には12位まで転落することが予測されている。そして既に、我が国の一人当たりのGDPは、台湾や韓国にも追い抜かれてしまった。
国民の所得水準も、例えば平均賃金は、2020年の時点でOECD加盟35か国中22位、お隣の韓国を下回っている。最低賃金の水準もしかりだ。日本の管理職の平均賃金はタイをも下回っているという調査もある。
企業のランクもしかり。30年前は世界の企業ランキングの上位に日本企業が席巻していたが、今は見る影も無くなってしまっている。

2013年に始まった安倍政権の経済政策「アベノミクス」の下では、しきりに「日本経済は復活した」と宣伝されていた。しかし、実際には、アベノミクスの始まりと終わりを比べてみると、企業の競争力だけでなく、国民の実質的な賃金や世帯消費も下がっている。

半世紀以上前の高度成長は望まない。しかし、低成長であっても、元気な家計が経済全体の好循環をつくり、自律的で着実な成長を実現していかなければ、この国の諸問題を解決することはできない。

(分配にも注目するべき)

「平成の政治」では、ことさら企業が稼げなければ、家計に分配できないと言われてきた。
そのため、法人税も下げ、その結果アベノミクスのもとでは、史上最高の企業収益を上げ続けてきた。しかし、賃金水準は上がらなかった。

この企業が稼いでも家計は豊かにならない現象は他国でも散見された事態で、その中で、世界的にも「分配」の役割が見直され始めている。かつては、「成長なくして分配なし」だった。しかし、「分配なくして成長なし」だと言われ始めているのだ。
我が国は、所得が上がっていない中で、更に消費税や社会保険料など、国民負担率は上げるという政策の失敗もおかし、ますます経済の成長力を減退させてしまっている。

富の偏在を是正するために、税の再分配機能は強化しなくてはならない。
法人税下げ競争に歯止めをかけ、企業の人への投資を促し、それが不十分であるならば、その企業から税を取り、国が分配をするべきだ。

(賃金を上げる政策を)

また、今や非正規雇用者は労働者の4割、その中で最低賃金で働く人はこの10年で倍増している。中小企業の後押しと合わせ、最低賃金上げの促進策を打っていくことは必須だ。
更に、小規模事業者が取引において適正な利益を確保できるよう、大企業との取引関係を、しっかり監視をしていくこと、外国人労働者の受け入れが人件費削減のために行われている実態の見直しなど、賃金を上げるための諸ルールの見直しも必要だ。

(成長戦略は短期眼ではならない)

「分配の前に成長を」と何十年も言ってきたにも関わらず、経済成長戦略の策定にも失敗している。
盛んにこれからは高度情報化社会の到来だと官民あげて言ってきたにも関わらず、半導体の生産は、30年前の世界シェア5割から1割まで低下した。
この十数年、これからは自然エネルギーの時代だと言われてきた中、2000年代前半に世界シェア4割だった太陽光パネルの生産は、今や0.1%。
電動車の時代も到来し、蓄電池が注目される中で、その蓄電池も世界一の生産を誇っていた我が国は、一気にシェアを下げている。
今や多くの仕事で必要なクラウドサービスの提供も、日本企業はほぼできない。スマホをつくることもできない。
「自然エネルギーは時期尚早」「電動車は時期尚早」と言い、時代遅れの産業を守るためばかりに公費をつぎ込んできた政策の間違えの結果である。

既存産業の多くは、多くの政治献金を行っている。政治家達がカネで動いてきたことのツケは、次世代が払うこととなる。
短期的な利権のためではなく、長期的観点から国が成長分野を支援し、大規模な民間投資も呼び込む。そういう産業政策に転換する必要がある。

(必要なものは国内で)

産業の育成は、世界の成長分野においてのみ必要なわけではない。
安全保障の観点からも、国民の生活を守る観点からも、国民が生きていくために最低限必要なものは、できるだけ自前で調達できるようにするべきだ。
エネルギー自給率や、食糧自給率は、政府の施策で劇的に上げていかなければならない。
エネルギー分野は技術の進展で、可能性は、既に見えてみている。
農業分野は、これまでの得意分野に特化し輸出を促進するという、グローバルな食料調達を前提とした政策を改めるべきだ。
また、デジタル技術は生活や産業に欠かせない存在となっている。サイバー防衛力の強化はじめ、デジタル分野は大いに力を入れていく必要がある。

(経済活性化と環境問題は両立する)

経済政策を考える中で常に論があるのは、経済成長には環境負荷が伴うという問題だ。
しかし、それは、経済活動の一面しかとらえていない。
北欧の国では、経済成長と環境負荷の低減の両方を実現している。
また、例えば、日本の田舎に泊まる価値や和食の価値などは大きく見直されている。それら価値に適正な価格を付けることで同じモノやサービスを提供しているだけでも取引額は上がる。
また、近年は、有形資産だけでなく、無形資産の価値が世界的にも注目されている。
これら、モノの取引だけでない経済活動にも注目し、強化することで、健全な経済の好循環を実現していくべきだ。

(何より地域に)

日本の雇用の7割は中小企業が担っている。
また中小企業や小規模事業者は、経済活動だけでなく、地域社会の維持にも貢献している。街の掃除、街灯の設置、消防団、お祭りの維持などは、地元で働いている人達が多くを担っている。
これら事業者を淘汰させるべきという主張は、我が国の社会を破壊しようということに等しい。
中小企業淘論、中小金融機関集約論を実行に移し、地域経済のプレイヤーの数を減らせば、新たな社会的コストが発生し、また日本各地のコミュニティや、日本人の生活水準を変質させることとなるだろう。
各地域の小規模事業者が生き生きと活躍する環境を整備することは、各地域でお金が循環することにもつながる。住んでいる地域で働くことは、高齢者にも子育て中の女性にもより働きやすい活躍の場を提供することとなる。
各地域の中小企業、小規模事業者を活性化させることは、幅広く国民の所得を上げるため、また生活の質を向上されるための大きな鍵になるのだ。

2、戦争を起こさせないための主体的外交を

(基本姿勢)

我が国は、歴史をしっかり振り返り、過去に対外膨張政策の失敗により、周辺国の国民や、自国民に多大な犠牲を強いてしまった反省に立ち、外交防衛政策を行っていく必要がある。
自国の主権を守るための外交と、他国の主権を奪うことを許さない姿勢、つまり侵略しない侵略させないという姿勢は、外交防衛政策の骨格として、より鮮明にするべきだ。

(外交の主権)

東アジアが緊迫化していると政府はしきりに強調している。それなら、なぜその東アジア情勢を緊迫化させているという国のトップに会いに行き、意見を言い、交渉しないのか。国民を守る指導者の決意、本気度が感じられない。
世界の大国に煽られ地域紛争が起こることは、歴史的にも頻繁に起きている。
他国のために戦争をし、国民を犠牲にするようなことは絶対にしてはならない。
戦争を起こさないためには、自国民のための主体的な外交が必要だ。

(外交と防衛は両輪)

また、戦前も指摘されてきたことは、外交と防衛は両輪だということだ。
防衛強化一本槍では、いずれ戦争をするしか道はなくなる。
戦前も同じような指摘をされてきたがその声はかき消された。そして自国が勝つとは思っていなかったが開戦に踏み切ったという、無責任なことが為政者によってなされ、300万人以上の国民が命を落とすこととなった。
エネルギーも食糧も自給できていない今、またこの間の平和の中でコツコツ積み上げてきた貯蓄で多くの国民が生活している今、もし戦争を起こせば、過去の戦争時以上に国民生活は成り立たなくなる。
現実的でない外交防衛政策は行うべきではない。

(国防)

国防の基本は、まず自国を守る個別的自衛権だ。他国を守る集団的自衛権ではない。
集団的自衛権に傾斜しすぎず、まずは個別的自衛権の確立に力を注ぐべきだ。
遠くに目を向けすぎず、まずは自衛隊員の待遇や足元の装備品などに目を向けるべきで、防衛力が張りぼてであってはならない。
30年ほど前、自衛隊の海外派兵をめぐる議論の中で、自衛隊の血を流すことが、日本の国際的地位を高めるという意見もあったようだ。
しかし、自衛隊とは、日本の地位を高めるためにあるのではないし、日本の政治家の国際的影響力を高めるためにあるのでもない。国民を守るために存在するのだ。
勘違いしてはならない。

(国連のあり方の見直しと機能強化)

気候変動、感染症など、経済のグローバル化に伴い、国際的枠組みでないと解決できない問題も多く発生している。多国籍企業への課税もしかりだ。

しかし、安全保障面においても、5大国が戦争を始めるという想定していなかった事態を前に、国際連合は立ち往生している。

このまま国連の集団安全保障体制が機能しないのであれば、NATOなど地域同盟に頼らざるをえず、新たな緊張感ある多極化を生むこととなる。

国連を改革し、機能させなければならない。

国連の第二次世界大戦戦勝国主体の体制を見直し、新しい国際秩序の模索をしなければならない。
そのためには、日本やドイツも、控えめながらも積極的に世界秩序の再構築のために汗をかき、役割を果たしていかなければならない。

(世界に必要とされる国に)

我が国は、覇権国を目指さず、世界に必要とされる国になるべきだ。
例えば、国際機関や国際的研究機関を誘致し育てていくことも、国際的な貢献と共に我が国の安全保障の強化にもつながる。
第二次大戦後に我が国が確立した平和主義、民政重視の理念は大切に、世界に広めていくべきだ。

3、時代の変化に合わせた社会保障を

(高齢者福祉)

我が国の中長期的課題の中でもっとも重要な一つが、社会保障の問題だ。
我が国の総人口に占める65歳以上の割合は、2020年の調査で29%。超高齢化社会に備え介護保険が導入された20年前は19%であった。今後4割近くまで上がることが予想される。
そして、平均寿命が延びる中での大きな変化は、認知症を患う方の割合だ。2025年には高齢者のうち5人に1人が認知症に。そして2035年には高齢者の3人に1人以上が認知症だとの予測がされている。

人生100年時代の到来は喜ばしいことだ。しかし、その社会の高齢化に合わせ、社会保障のあり方も見直さなければならない。
今までの社会保障の大きな柱の一つは年金であった。しかし、認知症の方の割合が増えれば、現金をいくら振込んでも、その現金を使えないケースが増えていくこととなる。
国民に一定の現金収入を保障することを重視する時代ではもうなくなった。
国民がもしもの時に、福祉サービスなどを現金を使わずに受けることができる、「ベーシックサービスの拡充」が、これからは求められる。
一定年齢以上になった時、もしもの時、住宅や医療や福祉サービスを無償に近い形で受けられるようにする。
現金から現物へ。そういう社会保障の再構築が求められる。

(現役世代への福祉)

また、30年前は半々だった共働き世帯と専業主婦世帯の割合は、今や、圧倒的に共働き世帯が多い。これは、現役世代男性の所得の低下が原因であると考えられる。また、片親世帯は90年代に急増し、その後は今日まで高止まりが続いている。さらに三世代の同居は40年前は世帯の約半分であったものの、現在は1割を切っている。
子育てを家庭でという今までの「当たり前」は、時代の変化から成り立たなくなっている。
公的な子育て支援の拡充は、子供の健全な発育のためにも、子供を産み育てやすい環境づくりのためにも必須である。

(同性婚)

また、社会の意識の変化に合わせ、他の先進国では当たり前になっている、同性婚の制度実現なども模索し、社会の変化、現代の人々の生活に合った法の整備をしていくべきだ。

4、自ら考えることのできる教育を

(AIの時代)

今や結婚のきっかけの上位がマッチングアプリの時代だ。
就職先にしかり、投票する政党にしかり、マッチングアプリが人々の決断に大きな影響を与えている。
人生の決断を、他人の判断に委ねる時代。下手をすると、教会や占いに頼った中世の再来である。
この中から、各業界に、各コミュニティや職場に、立派な人間力と判断力を持ったリーダーは生まれるのであろうか。
AIの時代こそ、自分で考え行動する人材が必要だ。

(そもそも世の中にはっきりした正解はない)

板書をノートに書き写す教育は、先進国の中では我が国だけになってしまったようだ。
明治時代に取り入れた欧風の教育は、150年の時を経て、古くなってしまっている。
教師の言ったことを覚え、その通りに答えられた生徒が正解となる教育は、今の時代に役立っているのだろうか。
そもそも世の中にも、我々の日常生活にも、はっきりとした正解はないし、人生に100点はない。
毎日全てが成功する日々を送る人などいなく、毎日は大小の失敗の連続で、その失敗の中で、どうよりよい対応をしていくかが人生では求められる。
またそれぞれの判断の場で、完全にマルな判断やバツの判断もほぼない。マルに近いサンカクやバツに使いサンカクの中で、人間は判断しなければならない。
正解を覚えるだけでなく、分析し、判断し、決断し行動する。こういう力を育んでいくことが、国民のよりよい人生の形成、そして、より良い社会の形成につながっていく。

(得意を伸ばすべき)

また、19世紀の工業化社会の中で生まれた、均質的な人材を社会に供給することを目的とした教育では、現代に求められる人材を輩出できない。
学校では人と同じことをできるように、苦手を克服することばかりが求められるにも関わらず、社会に出れば、多くの場合、人より何ができるのかが求められる。
苦手を克服することばかりでなく、自分の得意分野を伸ばすことに力点を置いた教育も必要だ。

(教育の機会均等を)

我が国は、OECD加盟国の中で、教育に対する公的な支出が最低レベルだ。
教育に対する公的な役割を削ってきたことで、家庭の経済力が、その子どもの受ける教育のレベルを決め、それが将来の稼ぎも決めてしまう「格差の固定」が顕在化し始めている。
教育の機会の均等は、イキイキとした社会を築くための基本だ。
公が子ども達への教育費を削るという今の政策は、看過していてはならない。

5、政治家が国民のために働く仕組みを

(政治家が身を正す)

政治とお金の問題はいまだに頻発をしている。
「政治家がお金をもらっていい思いをしているのはズルい」という問題だけではない。
政府の役に立たない産業政策もしかり、外交政策が場当たり的であるのもしかり。
カネの力で政治家が動かされているようであれば、国民全体のための政治は行われない。
健全な経済社会の実現を阻害してきた企業団体献金は禁止するべきだ。
また、ネットでの公開の義務化など、政治資金の透明性をより強化するための更なる施策も求められる。

(国会改革・機構改革)

会計検査院や、公正取引委員会、労働基準監督署などは、行政や企業の公正性を監視するチェック機関だ。しかし我が国は、このチェック機関の権限が弱いことが、度々指摘をされてきた。これらチェック機関の独立性と機能をより強めることが重要だ。

また、行政の下請けのようになってしまっている国会の機能を強化することも必要だ。本来、国会は国権の最高機関だ。しかし、内閣の提出する法案を多数決で通すことばかりに力がそそがれ、議員側からの提案、議員立法などは、審議される機会はほぼない。かつて国会活性化の柱として導入された党首討論もほとんど行われていない。より多様な意見も反映する、そしてより行政の仕事に対するチェック機能も高める国会改革が必要である。

国会内の人材の多様性の不足についても、長年指摘をされてきた。議員が高齢の男性ばかりになってしまっているのが現状で、特に、女性議員の割合は、先進国の中で断トツで低く、2023年の政界におけるジェンダーギャップ指数は、146か国中125位という驚愕の評価だ。

女性議員を増やしやすくするクウォーター制の導入や、国会や各自治体の議会内に保育所を設置するなど、多様な民意を反映させるための具体的施策が必要である。

(分断から包摂へ)

今、国政選挙でも投票率は半分ちょっとだ。半分の人しか選挙に行かない場合、その過半数をおさえるには単純に考えると、4分の1の世論をつかめば、国政の過半数を握ることができる。
したがって、戦略的に4分の1の世論を固めることに専念するような政治が、我が国でもそして世界各国でも行われ始めている。そして国民世論を分断する手段としてもSNSが使われている。
政治家が少数の国民を批判し、それに喝采を送る4分の1の世論を絶対的な味方に付ける。
国論が左右にはっきり分かれてしまうような選挙が各国で行われている。
本来、政治家は、国民全体のリーダーだ。
SNSの時代に加速している、選挙に勝つために「国民を分断する政治」から、「国民全体の意見を包摂する政治」に変えていかなければならない。
多くの国民を包摂するには、極論のどちらかを叫ぶ側に政治家が組みするのではなく、彼らをたしなめ、別の意見も加味し、より多くの人が納得する答えを提示する「中庸政治」が求められる。
それは極論と極論の間を取る妥協の政治ではない。時には別次元に昇華させてみんなの納得する答えを見出す。それこそ、政治家のリーダーとしての役割だ。

(どんな人も政治家になれる機会を)

昭和と平成の政治の違いは、平成以降ほとんどの総理大臣が、政治家の息子である「世襲議員」が務めていることだ。昭和の派閥政治の全盛期、三角大福中と言われた三木武夫、田中角栄、大平正芳、福田赳夫、中曽根康弘はいずれも親が政治家ではないたたき上げであった。最近の内閣では大臣も多くが世襲議員で占めている。
日本の法令では、政治資金を、贈与税や相続税もなく引き継ぐことができる。政治家の息子達が、親の資金や知名度などを引き継ぎ、有利な状況で選挙を戦う。
この世襲を優遇している日本の政治システムが政界の人材難の原因となっている。
世襲以外の候補も選挙に出やすくすることが必要で、せめて、資金の無税での世襲くらいはまず制限をかけるべきだ。

さらに、複雑で玄人でないと分からない選挙制度の簡素化、被選挙権年齢の引き下げ、会社に在籍しながら選挙に出ることのできる立候補休暇制度の創設など、国民の本当の声を政治に反映するための制度作りが必要だ。

[力を合わせて]

「昭和の政治」というフレーズを批判的に使っている政治家達は、もう国民の多くが「昭和」と言ってもピンと来ない時代がやってきていることを自覚するべきだ。今、反省するべきは、「平成の政治」である。昭和の終わりから平成初期の政治の激動は、第二次世界大戦終結から40年ほどでやってきた。そして、今、冷戦終結から30年以上だ。30年前に、「冷戦後の」と話していた頃の思考ではなく、時代認識を変えなければならない。

時代に合った、そして政治家のためではなく国民全体の幸せのための制度改革を断行すること。そのことが、日本を迷走から目を覚まさせ、みんなが希望を持って生きる世の中の実現につながる。これは、一人でできることではない。私自身は全てをかけ、そして、多くの仲間、善意ある国民のみなさんと力を合わせ、邁進していきたい。

さあみなさん、世の中を良くするために、一緒に前進していきましょう。

落合貴之を支援する