カンボジア報告

選挙に出る前は、旅日記を詳しく書いてブログにアップしていたのですが、
今はそんな時間もなくなってしまったため、
この秋、カンボジアに一週間勉強に行った際のハイライトをここに記します。

「カンボジア報告」(2015年9月28日から10月5日訪問)

【はじめに】
安保法制の通過した通常国会の終わった翌日、9/28(月)から10/5(月)まで、私は、日本を飛び立ち、カンボジアを訪問した。
日本人が主催する医療系のNGO団体の活動に帯同することを通し、我が国の非軍事の国際貢献のあり方を考えるためだ。
国会議員の視察となると、外向きの良いところしか見ることができない可能性が高いため、
私は、NGOに興味のある一日本国民として、カンボジアを訪問。
NGOの拠点にホームステイさせてもらい、一週間、地元の方々と一緒に生活をし、食事を共にして、様々なことを体験させてもらった。
日本の国会議員が来たことを公表したくないという施設もあるため、公にできる範囲で、ここに書き記しておきたい。

【往復の飛行機】
国会議員の活動は、国民の血税で支えられている。
往復の飛行機代もできるだけおさえるよう、エコノミーで、その中でも格安なもので。
現在、成田-プノンペンの直行便はないため、成田-ソウル-プノンペンの韓国アシアナ航空を選ぶ。
ローシーズンなので、往復約7万円で済む。

【プノンペン着】
昼に成田を出発し、プノンペンには夜中に着く。
上空から見たプノンペンの街は、車通りも少なく、ビルも少なく、首都であるにも関わらずなんとなくのどかで、
まだ経済発展が進んでいないという印象。
真っ暗な中、現地に住んでいる、NGOの日本人の方に車で迎えに来てもらう。
プノンペン滞在中は、そのNGOの拠点であり、その方の住まいでもある家にホームステイ。
治安は、いいわけではなく、外国人の家が強盗に襲われることも多々あるようだ。
最低賃金は月100ドル台、日本円で月一万円ちょっとなのだから、外国人はお金持ちだろう。

空港の入国審査で、職員が、私のパスポートに何か紙を挟んで渡した。
見てみると、マンション投資の企業のチラシ。
カンボジアでは、公務員がこういうアルバイトをこっそりすることはよくあるようだ。

【NGO】
今回お世話になったのは、主に医療に関係した活動をし、日本人の運営するNGO。
日本の救急車をカンボジアに持って来て病院に寄附したり、孤児院や、貧しい地区に住む人達に、助けを施したりしている。
現地に職員を住まわせることで、的確に援助ができるようにしている。
年金も、健康保険も、生活保護も整っていない国。
ここでは、外国からの援助や、NGOの役割は大きい。

【低い識字率】
東南アジアの他の国と比べて、カンボジアは識字率が低い。
それは、1975年から1979年のポルポト政権の影響が大きい。
知識人、そして文字の読める国民を徹底的に殺してしまった。
国民の3分の1だとか4分の1が命を落としたらしいが、あまりにも数が多すぎ、また、国が混乱しすぎて、正確な数字は分からないらしい。

文字の読める人を徹底的に殺してしまったため、その後、教師になりえる人材がおらず、
また、教育への国民の熱も冷めてしまう。
勉強したことが原因で迫害されてしまったのだから。

国連の調べによると、
カンボジアの識字率は、76%で、世界133位。
隣の国、ベトナムは93%、90位。
タイは94%、83位。
隣国と比べ、遅れを取ってしまっている。
数年間の政治の間違えが、何十年後の国民の生活をも左右してしまっている一例だ。

識字率が低いと、外国企業の進出も積極的ではなくなる。
文字が読めない書けない人に、複雑な仕事を頼むことは難しいからだ。
カンボジアの経済発展のためには、多くの問題を解決しなければならないが、識字率の向上は、大きな鍵を握っている。

【カンボジア平和協力機構(CICP)】
プー先生に会い、意見交換。
プー先生は、元・在日カンボジア大使の弟さんであり、最近までは大学の先生もされていたようだ。
私が質問し、プー先生が答える形で進められた話の内容は以下の通り。
・長い内戦が続いていたため、公正な選挙を行うための外国の支援は重要。
 90年代の明石さんの頃は、本当によくやってくれた。
・インフラ整備も日本にお世話になった。
・中国は国がガバッとお金を出して支援してくれるが、日本は人も派遣してくれる。
・ただ、日本の問題点は、ビジネスなどでも、カンボジアに長く住んでくれる人がいない。
 (多くの華僑がカンボジアに住み、ビジネスをしているのと比べて。)
・韓国人も昔から援助やビジネスの進出をしている。
・日本は目先の利益だけでなく、長期的な視点で投資をしてくれる。
・イオンなどもできたが、もっと日本からの投資をして欲しい。
・日本人の観光客ももっと来て欲しい。
私からは、
「投資を呼ぶには、もっと民主主義と、法による統治を進める必要があり、その手伝いを日本はすることができ、それが、カンボジア経済の自立的な発展につなげることができる。」
と述べる。
最後の方で、プー先生は、しきりに日本の今回の安保法制について、私に質問をする。
中国と日本の関係がこの安保法制でどう変わると思うかと何回も質問をしてきた。
また、南シナ海に積極的に軍事進出を試みる中国の活動をどう思うかと。
数日後に、日本のニュースで、カンボジアは中国の南シナ海での活動への支持を表明したことを知る。
このカンボジアの中国寄りの動きが、日本のカンボジアへの見方に悪影響を与えるのか、関心事だったのであろう。
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【国際協力機構(JICA)カンボジア事務所】
所長と次長が迎えてくれる。
ここでも、私が質問し、所長が答えるスタイルで話が進む。
主なものは以下の通り。
・青年海外協力隊は50年前にでき、最初の派遣先が、カンボジア、フィリピン、ラオス。
 (後で調べてみると東南アジア諸国への戦後補償の問題と関わっていることが分かる。)
・ポルポト政権の始まった1975年に中断、和平成立後1993年に再開。
・カンボジアはベトナムに侵攻されたこともある。
 したがって、ベトナム牽制のために中国と仲良くしている。
 中国人は、アンコールワットの時代からいて、今は、華僑だけでなく、本国からも人が来ている。
・日本の援助でできた橋がお札の図柄にもなっている。カンボジアのお札で外国の国旗が載っているのは、この日の丸だけ。
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・社会問題としてカンボジアでは3分の1が母子家庭。昔は戦乱が原因で母子家庭が多かったが、今は離婚が原因。
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【カンボジア日本人材開発センター(CJCC):王立プノンペン大学内】
王立プノンペン大学は、日本でいうと東京大学。
一番難しい大学だが、カンボジアの教育水準が低いため、そんなに学生のレベルが高いわけではない。
その中にあるカンボジア日本人材開発センター(CJCC)へ。
JICAの下で、日本企業で働いてくれている人材を育てている。
図書館は、本の選び方がなかなかいいと思う。
まずジャンプ。
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漫画が日本語を学ぶ教材として相応しいかの議論があるそうだが、日本語を覚える導入としては、絵本や漫画が有用だろう。
そして、ユンチアンさんの書いた「マオ」もあった。
文化大革命を批判している元中国人の作家で、ポルポトのやったことが、中国の共産主義とも関係があったことを理解する上では大切な本だろう。

ここには、和食の食堂もある。
しかし、メニューの写真、定食の味噌汁の置いてある位置が左側になっており、正確には日本のマナーでは右に置くと言うと、気付かなかったと。

ここでも、私が質問させてもらい、所長が答えてくださる。
主なものは以下の通り。
・この組織は、2018年までということしかまだ決まっていない。
 今後それ以降のあり方が決められる。
・ここの人件費の半分はJICAや国際交流基金(外務省管轄)のお金でまかなわれている。
・日本の大学の先生を講演会でカンボジアに呼ぶのも国費。
・カンボジア人を日本に研修に出すのも国費。
・日系企業への就職説明会を開催している。
・カンボジア人で企業のマネージャーを担えるような人材はなかなかいない。
・逆の日本からカンボジアへの留学生はほとんどいない。
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【ルムドア島】
プノンペン郊外、川の中州にある島。
プノンペン中心部からこの島へ向かう道路は、舗装はされているがガタガタの道を車で走る。
あまりにもガタガタで馬に乗っているようで、だんだん首が痛くなってくる。
島の対岸までは車。そして島へは、筏(いかだ)のような船で。
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この島に貧しい人達が暮らす村がある。
ここで、看護師さん達による、村の女性のための健康相談会。
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村は増水すると水浸しになるため、家は高床式。
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お金持ちの家は、より足が長い。

中に入ると、貧しい家は、床がこんな感じ。
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地面が見えるので、なんだか落ち着かない。
多くの家でシアヌーク殿下や今の国王の写真が飾られている。
調理用のガスはカセットコンロを使っている。
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この家は、お父さんは酔って川でおぼれて亡くなってしまったらしい。
お母さんは、木を拾って売る仕事。
稼ぎが少ないため、娘さんは孤児院に預けられ、英語も話せるようになった。
NGOの方によると、ちょっと前までその娘に子供がいた気がするが、子供はいないと言っていると。

この家がどうだかは分からないが、貧しい家庭は、子供を売ってしまうことも多いらしい。
話によると、その額たった800ドル(約96,000円)。
低い金額では、50ドル(約6,000円)という話も聞いた。
売られた子供は、どこに連れて行かれるのか、そこまでは調べられないと。
そのような金額で自分の子供を売ってしまうなんてと思う。
しかし、カンボジアは、病気や交通事故で、乳幼児の死亡率も高く、日本と比べて、子供の命に対する感覚が鈍いという話を、現地の多くの日本人から聞いた。

村に井戸がいくつかあったが、今は使われていない。
一時期、援助ブームで井戸がたくさん作られたが、メンテナンスもできず、またヒ素なども出て(詳しい方の話では、掘り方が浅いとヒ素などが出てしまうらしい)、今は使われなくなったそうだ。
その代わりに、屋根にトイが付けられ、雨水を大きなカメに貯め、それを濾過して飲んでいる。
濾過装置は、技術が進み、10ドルくらいで手に入るそうだ。
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よく考えてみると、カンボジアは毎日雨が降るので、井戸を掘るより雨水を貯めた方がいい。
そのような基本的なことも、カンボジアに住んでいないと分からない。
援助の基本は、やはり、人も派遣することだろう。

文字が読めない方が多いので、手洗いや歯磨きの仕方を絵で説明している。
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この島のアリは、木の葉っぱを束ねて、木の上に巣を作っている。
そういうアリがこの地方にはいるらしい。

【国立カルメット病院】
国立カルメット病院は、高度な技術を持ち、救急もあり、また産科もしっかりしている。
しかし、この国の病院はみな、入院してもご飯も出ないので、水もお弁当も、自分か家族が買いに行かなければならない。
ベッドも足りないので、廊下に多くの患者が寝ている。
この病院は、フランスの団体により2005年に設立されたが、2013年に援助が打ち切られてしまっている。
カンボジア国民の平均年齢は23歳で、産まれてくる子供の数が非常に多い。
ちなみに日本国民の平均年齢は42歳だ。
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この病院に、私を案内してくれているNGO団体が救急車を寄附している。
この国の救急システムは、「119」(カンボジアも日本と同じ番号)に電話をすると、公営のコールセンターが、個別の病院に連絡をし、その病院が救急車を出す。
しかし、いたずら電話も多いため、空振りでコストがかかることを避けるため、連絡を受けた病院が救急車を派遣しないこともあるそうだ。
この国の救急システムはうまく機能していない。
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【国立クメールソビエト病院】
ここは、カルメット病院のような最先端の病院ではない。
ベッドが足りなく、手術をしたばかりに見える人も、体中に絆創膏を付けながら廊下で寝ている。
看病のため、家族も一緒に寝ている。
病院でご飯が出ないことが、そして、満足な医療が受けられないことがこんなに大変なことか、思い知る。
青年海外協力隊で来ている日本人の看護師の方に聞いてみると、これでもましで、田舎の病院は、野戦病院のようだと。

【日本人の建てた学校】
私の行った、プノンペン市内のこの学校では、20代の若い日本人女性が教えていた。
日本での教員免許はないそうだ。
一人でこの地に来て、よくやっていると思う。
住宅地の中にあり、電気もない、壁もない。
薄暗くて、目の悪い生徒も多いようだ。
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カンボジアは、教師も少ないし、子供が増えすぎて学校も足りない。
したがって、半日で、生徒がチェンジするそうだ。
お金持ちの家は、残りの半日、塾に行く。
塾に行けない子供達の補習をこの学校はしている。

【マザーテレサのつくった施設】
修道女の方々が、捨てられてしまった子供、交通事故で動けなくなってしまった方、精神障がい者、知的障がい者、エイズ患者、身寄りのないお年寄りなどを預かっている。
パンやバナナを大量に買って、一つずつ配ってあげる。
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私の子供と同じくらいの年齢で、顔も私の息子に似ている幼児が、一人で一生懸命ご飯を食べているのが印象的。
あの子は、成長して、施設を出ることになったら、どんな生活をするのであろうか。

【食べ物】
カンボジア人の作ってくれた朝ごはんは、パン、目玉焼き、きゅうり、コーヒーなど、日本と変わらない。
野菜はそうは感じなかったが、卵は、日本よりおいしいと思う。
小松菜とブロッコリーの炒め物、豚肉の塩炒め、ジャガイモと鶏肉のカレー、鶏肉のミンチが入った茶わん蒸しのような物、お米の麺のヌードルなども作ってもらったが、カレーの辛さ以外は、日本でも通用する味。
カンボジアでは食べ物には困らなかった。
外食では寿司バーも人気。
私が行ったお店はベトナム人の経営だが、寿司だけでなく、純米酒もぬか漬けもあり、味も満足。
カンボジアにはベトナム料理屋も多く、フォーなども美味しい。

【生活】
経済の成長途上の段階なので、金利は高い。
1年定期で6%くらい。
道路は、首都でも、脇道は舗装されてないことも多い。
幹線道路も、アスファルトが薄いせいか、へこんでいてガタガタ。
物価は、10円や20円でパンが買える一方、300円のコーヒーショップも。
貧富の差がある。
基礎学力が低いのと同時に、南国にありがちな、悪く言うとさぼり癖があることも難点。

【現地の日本人】
カンボジアに住んでいる日本人は、約2,000人。
その中で、今回は、訪問した先の方々に加え、日本人向けレスキュー会社職員、人材紹介会社職員、日本の病院を定年退職しカンボジアの病院で働く看護婦、青年海外協力隊でカンボジアに来た若者達にも会い、色々な話をうかがった。
まだまだ日本人の数も少なく、首都プノンペンでも経済成長がやっと始まった段階であることを考えると、ビジネスチャンスはおおいにあると考える。

【感想】
大きく、2つのことを書き留めておきたい。
何回も書いたが、的確に援助を行うためには、援助をする現場に拠点を置くことが必要だ。
また、我が国は、途上国からの留学生の受け入れなどの援助も行っているが、識字率が低く、中間管理職になる人材も乏しい国からは、東大への数人のエリートの受け入れだけではなく、高校や中堅レベルの大学への大量受け入れの方がいいかもしれない。

他に行った主な場所を書き記しておく。

【プノンペンタワー】
プノンペン市街を一望できるランドマーク的なタワー。
最上階のスカイバーは、洋風の食事が食べられる。
日本の住宅メイカーが経営しているらしい。
ランチは1,000円くらい。
もちろん現地の価格としては高い。
ビルの中には欧米系保険会社などのオフィスが入り、日本人もいる。
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【ラッキーマーケット】
高級な百貨店、スーパーだが、日本の価格の感覚だとかなり安く感じる。
日清のカップラーメンなどもある。
アボカドスムージーがものすごく美味しい。

【イオン】
ラッキーマーケットより高級。
日本のイオンと同じように、広い駐車場も持つ。
ラーメン、寿司など和食屋も入っていて、基本的に、日本人が必要なものは、ここで手に入る。

【キリングフィールド】
ポルポト政権時代に処刑が行われた場所。
カンボジア全土で300か所以上、確認されているらしい。
どこも掘ると人骨の山。
服などもたくさん出てきている。
なぜ、自国民をここまで殺したのか。
政治の恐ろしさを痛感する。
権力の暴走は、本当に避けなくてはならない。

【トゥールスレン博物館】
処刑される前に、拷問され、尋問された場所。
幼児を抱えた母親や、子供も。
ポルポト政権とは何だったのか。
今後勉強していこうと思う。

【おわりに】
今回のカンボジア滞在で私の案内、そして、難しい議論の通訳までしてくださった、
NGOサイドバイサイドインターナショナルカンボジア代表の佐々木明子さんに、
心から感謝の意を表したい。
これからもカンボジアを通して、日本の国際貢献のあり方を考えていきたいと思う。

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